Ads by Google

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

楽に生きよう

「楽に生きる」とは、楽しく生きること。仕事をしないで遊んで暮らそうということではない。何かするときに楽しくなるようにしようということかな。
では、どうしたら楽しくなるのだろうか。
まずは、目標を決めることから始まるだろう。すなわちちょっとがんばれば達成しそうな目標を決めよう。普通にやって達成しては、意味がない。相当がんばっても厳しい目標も悪くはない。でも、少しのがんばりでできる目標を立てよう。
次に、誰か友人でも同僚でも良いので、一緒にやってくれる人を探そう。あなたの達成も大切だが、相手にも達成の意味がある共通の目標に向かってくれる人がいいね。
そして、そのことについて良く話し合おう。それって、楽しい会話になるだろう。話しがはずむはずさ。いいアイデアがでることもしばしばあるだろう。

では、早速決めたことをやろうじゃないか。君は一人でやる必要はないよね。できそうになければ相棒に聞いてごらん。目標の立て方が悪かったかもしれない。自分のがんばりが足りなかったとは思うことはないよ。でもどうしたら良いかは話し合ってくれよ。ひとりで結論を出さないで欲しい。改善策があれば修正しよう。OKなら、そのまま実行だ。

目覚めたとき

 今朝は、祭りの後のような気分で目覚めた。昨晩は騒いだというより、高揚した気分の余韻がまだ残っている。このまま走っていけば人生のレースで勝者になることも難しいことではないに違いない。
 忘れていた感覚が蘇ってくる。勝利の美酒に酔いしれたこともあったのに、人生を楽しんでいたこともあったのに、勝利から見放された日々が続いていた。否、見放されたと思っていた。自分の心が勝利を遠ざけていたことを思い起こした。
 50を超えたとき、一郎は老いを意識した。だから、自分の限界を作って新しい取組みを排除した。自分から積極的には物事を始めなかった。気がつけば生活がジリ貧になって
世間を非難した。自分の中にまだエネルギーが残っていることに気がついた夜だったことはうれしい限りである。

 目覚めても一郎は、すぐに起き上がらなかった。寝床で何やら呪文のような独り言を
つぶやいた。何を言っているのかは不明だが、つぶやいていた。見開いた目には、輝きが戻っていた。かつて、持っていた輝きを取り戻していた。大胆にも笑みさえうかべていた。
「さぁ、起きるとするか。」
元気の良い声が響く。それからの一郎の行動は素早かった。顔を洗い、ヒゲを剃り、着替えて家を出た。出勤にはまだ十分な時間があるにもかかわらず・・・。

何もしない

何もしない人生。むしろ、してはいけないとしたらどうなるのだろうか。まったく何もしないのでは、生きている意味がないと言われるかもしれないので、たとえば仕事をしないとしたら、どうだろうか。単純に考えれば収入がなくなるから生きてゆけない。
誰かが自分の代わりに仕事をしてくれることが必要になる。あるいは、何かが収入を生んでくれれば、(たとえば、土地や建物があって不動産収入で生活できる。)ことが足りる。
土地や建物といった不動産を親から受け継がない限り、自分が何もしないで生活できるだけの不動産を得ようと思えば相当の労働か知恵を絞らないと実現は難しい。
誰かに少しずつ分散して自分の分を稼いでもらうことが実現しやすいように思える。では、
どうするのか。
まず、自分を「バカ」にみせるというのは、どうだろうか。頭の良い人間や仕事のできる人間と思われると、他人は何もしてくれない。むしろ、仕事などを頼みに来る。
「○○さんならできる」とか何とか言って、おだててくる。これでは、仕事をしないどこではない。増える一方だ。だから、仕事はゆっくりやる。穏やかな笑顔とともに周りの他人(ひと)の反応を見よう。観察をしていることを悟られてはまずい。決して悟られるな。すべてを「バカ」にみせては、誰も相手にしなくなる。一芸に秀でることにしよう。それが何かは自分で考えるにしても、周囲の人から一目置かれる程度ではなく、できれば相当凄いがいい。ただし、めったにその雄姿はみせない。

そんな生活ができれば、今の自分はないね。ほいほい煽てられて、気がつけば木にのぼっちゃって降りられなくなっている。その方がよっぽどバカだよね。

あなたなら?

あなたに質問します。
「道路の上に幅30cmの薄い板が置いてあります。長さは、10mです。端から端まで落ちないように歩けますか?」
この答えは、多くの人がYesと答えるでしょう。
 では、
「10階建ての2つのビルの間に幅30cmのしっかりした板が渡してあります。ビルとビルの間は、5mです。この板を使って隣のビルに行けますか?」
この質問に答えを出すことに多くの人が躊躇することでしょう。
 距離は、短くなっているにもかかわらず難しいと考える人が増えます。あるいは、ほとんどだと思います。なぜでしょう。板自体はまったく変わっていないにもかかわらずできないのは、周囲の状況によって人間の心持ちが変わってしまうからです。もし、踏み外したらと考えたとき、一方は特に問題は生じませんが、他方は死を意識します。普通に歩けば踏み外すことはまずありませんが、もしもを考えてしまうと想像したくありません。
 人は、その周囲の状況に左右されてしまいます。30Cmの板の上を歩く行為そのものにはまったく変わりないのにときとして危険を感じることがあります。

フリーセル考

このブログに来ていただいた方でフリーセルを知らない方は少ないのではないでしょうか。
Windowsに付属するゲームでは、ソリティアとともにほとんどの人が経験していると思います。
私は、ほとんどフリーセルばかりやっています。なぜかと言えば、必ず解けるからです。
そこに運はありません。あるとすれば、早く解けるかどうかぐらいでしょう。
解けないのは自分の思慮が足りないからです。今は、7,8割は解けるでしょうか。
最初のころは、経験値が低かったせいもあるでしょうが、5割程度だったと思います。
解ける確率が上がったのは、このゲームで解けないものはない(解けるものしかない)と知った
ときからです。必ず解けるという確信(事実)があれば、不思議と粘れるものです。
もうダメだと思っても、念のためもうちょっとだけ粘ってみようかと思ってみていると
案外道は開けたりします。逆にこれはダメと判断するのも早くなりましたが、・・・。
(間違えた道から早く抜け出る決断も必要ですね。)
人生でもこのビジネスが自分にとって成功するとわかっていたら、諦めずに苦しくても
やりとおせることでしょう。ただし、この成功の約束を他人は与えてくれません。
自分の中で、信念や確信として持ち続けてこそ、成功が待っています。

自由

僕の心の中で風がすうっと吹き抜けた
それは、君がここを去ったときだった
僕は、止めることさえできなかった

僕のまぶたの奥でふっと何かが光った
それが、君であることに気がつかなかった
僕は、記憶にとどめることさえできなかった

僕達は、この街で本当は
やり直すことができるはずだった
でも、僕にはちょっとだけ勇気が足りなかった
君に一言言えば良かったのに

君の背中の羽が風を含んで大きくなった
それを僕は気づいていたはずなのに
君は羽ばたいた、明日に向かって

君の瞳の中に僕はいなかった
それを知った僕は、激しく叫んだ
でも、君は振り向いてもくれなかった

僕達は、この部屋で本当は
最初からやり直すつもりだった
でも、君はちょっとだけ自由が欲しかった
僕に一言も言わずに君は去った

朝の情景

 その列車に乗るには、きつかった。昨晩というより、明け方まで飲んでいたから。
6時などという時間に起きているはずのない生活にもう30年浸かっている。Y市に9時に着かなくてはならない。南北の幹線は、多くの列車が行き来するが、西行きは、朝夕にわずか走っているだけである。冬の朝でないのは救いである。寒さも暗さもない。
 S市を出て、15分ほどであろうか、うとうとし始めた。寝たのは、多分10分くらいだったであろう。ふと視線を上げると山間に入っていた。緑の中を列車は、走っていた。
 「まだまだだな。」
硬いシートを感じながらまだ1時間以上かかることを心で嘆いた。両側に緑の山が迫っていた。まもなく隧道に入るのかと思った瞬間、木々の向こうに視界が開けた。
 「ん。湖か。」
この線を利用するのは、初めてだった。海辺で生まれたせいか、水をみるとなんとなく落ちつく。たとえ、湖であろうと。湖面に山々の連なりとわきたつ雲の白さが写っていた。
 視線を上げたとき事態は一変した。緑の山すそを白いものが音もなく、すうっと降りてきた。その白いものの中に人影があった。しかも、私にむかって微笑んでいた。あっ、いや、あったような気がしただけかもしれない。
目を凝らしてみたときには、湖面を霧が覆いつくしていた。

 10数年たった今でも、あの霧の中の人影を思い出すことがある。本当に見たわけではない。冷静に考えれば、あの大きさの人影ではとてつもない身長である。寝ぼけただけなのであろうが、山の神のいたずらだったのではないかと今でも思っている。
 今乗っている列車は、別の路線である。出張の多い私は、時間の許す限り所謂ローカル線を使うことにしている。車窓からの景色に「神」を捜し続けている。しかしあれ以来「神」に出会ってはいない。もっとも、朝早い時間に乗ることはめったにないのだが、・・・。

なかなか難しい?

 何人かでボーリングをやる機会に恵まれた。取り立ててうまいわけではないが、
他の人にアドバイスをすることとなった。これが、自分で投げるより難しい。
決して手の出せない、代わってやることのできない事柄を誰かに伝えようと
するのだが、自分の表現が自分の思っている通りに相手に伝わらない。
頭で説明しようとすると理解されがたく、体で表そうとしても表現がうまくない。
こちらの焦りが相手に伝われば、相手は引く。楽しいはずのものを台無しに
してしまいかねない。
 コーチングは、難しい。やらされていると思われたらダメ。小さな成功=喜びが
なければ、進まない。小さな成功の積み重ねが大きな成果を生む。しかも
その道筋は、しっかりしたものでなければ成功はない。

人生劇場

 人生の中で小さな出来事が起こるたび、私たちは舞台に立ちます。
自ら進んで演じたい役もあれば、自分に相応しくないと思う役もあります。
ですが、その役は神様が決めたのですから決して降りてはなりません。
いやな役であろうと立派に演じきらなければなりません。
 初舞台の頃は、未経験ゆえに許されることも、
あなたはあなたの人生の主役ですから、その役を避けることはできません。

 あなたは、その役になりきらなければなりません。
金持ちであろうと、異臭を放つ流浪の民であろうと、
気力ほとばしる若者であろうと、静かに死を迎えようとしている老人だろうと、・・・。

この舞台の成功は、あなた次第です。
私は願っています、あなたの成功を。
私は信じています、あなたの良心を。

私は、拍手で迎え、喝采の歓喜であなたを讃えましょう。
さぁ、あなたの「人生劇場」は、今幕が上がりました。

M氏に会う

 昨日のことである。久方ぶりにM氏に会った。
互いに近況報告をしつつ、不況を嘆いた。やさしく話すM氏の
顔にも厳しさの影は忍び寄っていた。M氏の経営する会社の
業績も徐々にではあるが、確実に落ちているようである。
 M氏の会社は、野菜の加工品を扱っている。その製品には
こだわりがあって、自分が良いと思ったものしか売らない。
そのM氏は、最近農家に足しげく通っているようである。
何をしているかというと少しでも良いものができるようお願い
したり、話をしているそうだ。たくさんものが売れる時代では
ないから、今自分の会社のものを使ってくれているお客様を
大事にしたいというM氏の心遣いを感じた。喜んでもらえば、
やがては、使用量も増えるかもしれない。
 そんな話を聞きながら、ふと自分が人のために何かしているか?
自分のためだけに生きていないか?自問してしまう。
収入を得ること、それは何の副産物なのか。賢明なあなたには
わかるはず。