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ダレすぎ?

我が家の一員「ラーク」です。

ダレすぎ

リラックスしすぎ?
あまりのかっこうに思わずカシャッ・・・。
時々登場するかもしれません。
どうぞ、よろしく!

ゆらり

暖かい湯にゆっくり足をしずめていく

ゆらり

しずめたカラダがゆれる

たくさんの暖かい心の中で
やさしい心のひだに触れる

冷えた心は、また
潤いを取り戻す

しばらくは、がんばれるね

凍りついた世間に再び
戻った

人類最後の戦い

「大統領、A3地区の同志がやられました。」
「状況は?」
「ほぼ全滅です。」
「今月に入って三地区目か。敵の主力は?」
「MLBと思われます。」
「また、MLBか。ところで移送計画はどこまで進行している?」
「F地区以降は、ほぼ完了しております。」
「まだ1/3残っているのか。」
  ・
  ・
  ・

20××年チュー国 大統領は、東京からの撤退を実行していた。
長年、鼠類の格好の棲みかであった東京は、今修羅場と化していた。
2016年に開発された小動物等自動遮断装置(通称、SASOC)の設置を東京都が
決定したことと鼠類等撲滅援助条例を都議会が可決したことにより、鼠類掃討特別
チームが編成された。
かつて、自治体がこれ程真剣に取り組んだことはなかった。SASOCの威力は絶大で
あった。動物が特定の周波数と固有のパルスの電波を嫌うことを発見した井原博士の
業績は都市生活を大きく変えるものとなった。この発見を応用して、ビルの外周を電波
で覆う装置がSASOCである。
これにより、新規の侵入はまず不可能といえた。SASOCを都はいち早く採用し、新規の
ビルには設置を義務付けた。他方、既存のビルには、助成金を出し、確実に追出し駆除
を行うように働きかけた。また、駆除業者に対しては、従来の登録業者にこだわらず、
実績のある業者を積極的に推奨した。
さらにMLBでは、小型殺鼠ロボット(SKR)の開発をし、独壇場となっていた。
SKRは、その機動性と大きさに大きな特徴があった。また、鼠類に反応する音波を出して
進むため、ネズミにとっては、攻撃されてはじめて敵と認識することが多く、その殺傷武器
であるレーザービームは、確実に獲物を仕留めた。しかも、死んだネズミの回収まで担っ
ていた。

続く

人は自分の鏡

他の人が何を考えているのか、わかりません。
人のために何かをしようとすれば、上から目線になってしまう。
控えめにしていると「あいつは何もしない」だとか、
やる気がないと取られてしまう。
どうしたらよいか聞けば、「そんなこともわからないの?」と、
言われてしまう。
どうしてわたしの言うことがわからないのだろう?

私は、当初その原因が良くわからなかった。
なぜか自分の言ってることが伝わらない。
なぜ
なぜ

わかったのは、ずうっと後のことだった。しかも簡単なことだった。
私が他の人の話を聞いていなかったのだ。
自分の理論に酔っていただけだった。冷静な判断ができていなかった。
自分は正しい。まちがっているのは、他の人だ。
もっと言えば、正しいことが支持されるとは限らない。
正しくないことが支持されることもある。

ひとつの終わり

 私が作った店の閉鎖を自らの手で実行せざるを得なくなりました。
最初の自分の店でした。(結果的にはこの店の借金が自分を苦しめて
いるのですが、・・・。)
 いずれ良くなるだろうと思いつつ、粘っていたのですが、他に現金化
できるものはなく、7月下旬には閉鎖されることでしょう。

うっ、うっ、うっ・・・

言葉が出ません。
     ・
     ・
     ・


運命・因縁

 人間は、ひとり残らずの人が幸福の花を咲かすことのできる
運命を持っています。
草木に例えるならば、種類も違えば、花咲く時期も違っても、
それぞれに必ず花が咲くのと同じです。
 ところが、せっかくの幸福になれる運命にもかかわらず、
なぜ私達人間は悩み苦しむのでしょうか。
それは、悪い因縁によって、良い運命が破壊されていくからです。
悪い因縁は、心の隅に少しずつ溜まっていきます。
それは、時として生まれもって遺伝子として親から
受け継がれているかもしれません。
あるいは、ちょっとしたいたずらをした後の後悔が
残っているのかもしれません。
もちろん因縁には、悪いものと良いものがありますが、
悪い因縁が人間の悩み苦しみのもとを生み出していくのです。
 この運命と因縁の絡み合いの中で、人間は生きていくのです。

退屈な一日

何をするでもなく
訪れる人もなく
尋ねるでもなく、

あなたのうしろ姿を見送った日
別の人を迎えた日
自分が去った日

また、一日が終えていく

本当は、退屈な一日なんてありません。
小さな変化・大きな驚き等々、何がしかの出来事があったはずです。
忘れているだけ?忘れたいだけ?
明日のことを考えていたら、退屈なんて言ってられません。
今、何をするのか、しなければならないのですか。
明日の自分をみていたら、するべきことは簡単ですよね。

せきをしてもひとり(2)

   −俳句の持つシズル感−

 俳句とは、不思議なものではないでしょうか。
17文字の中に情景や感情の思いっきり凝縮しているにもかかわらず、
事実しか述べていません。
 岩にしみ入る程のセミの声って、相当なものですよね。その鳴き声の大きさに
驚かされることよりも夏真っ盛りでかなり暑いことが容易に想像できます。ステ
ーキがジュージューいう、あの音に匹敵します。
 「せきをしてもひとり」という句に初めて接したとき頭の中でサナトリウムが
浮かびました。実際にそれを知っているわけではありません。

 山奥にある古ぼけた白い木造の建物、訪れる人はなく、ときおり発せられる自
分の咳、こほっ、こほっ・・・。
時間はゆっくり流れ、思いはせるは、過去の記憶ばかり。話し相手はなく、テレ
ビなどあろうはずもない。
 かつては、孤独を望んだこともあった。流浪の人にあこがれたこともあった。
いざ、手に入れた静けさは、孤高などと呼べるものではなく、ただ生きながらえ
ているにすぎない。楽しんだほんの数日をすぎてしまえば、ただの一日の連続で
しかなかった。自殺する勇気はとうにない。自分の前には空白の時間が人生の締
切りまで累々と積まれている。
 咳の後に、静寂がやってきた。静かに確実に。私は、気づいた。静寂の音に包
まれていることを・・・。

 私の心は、小さな旅から帰ってきました。9文字の旅です。ときどき時空を超
えて旅に出ます。楽しいこともあれば、苦しいこともあります。入口は、俳句の
こともあれば、小説のこともあります。ときとして、映画のこともあれば、舞台
のこともあります。皆さんと一緒にいける旅ではありませんが、何かを感じてい
ただければ幸いです。

せきをしてもひとり(1)

題名の俳句をご存じだろうか。
たぶん多くの方がご存じと思います。
5・7・5の簡素化された俳句をさらに自由に簡素にした
尾崎放哉の代表的な句です。
「咳をしても一人」と漢字で書くかもしれませんが、
咳という漢字は強すぎてきらいですし、一人は、人数を
数えるようで、ひとり感が出ません。
(もちろん、勝手な言い草ではありますが、・・・。)

作者が、この句を詠んだときの情景はわかりませんが、
わずか9文字の中にいろいろなものを感じるし、
作者と関係なく受取り手の心の中で自在にその姿をかえていきます。

たとえばどうでしょう、せきは小さくひとつだったのでしょうか、
それとも大きく激しい咳が連続して苦しかったのでしょうか。
ほんとうは多くの人に囲まれているにもかかわらず孤独感を
味わっているのでしょうか、それとも本当にひとり。
好きでひとりになっているのでしょうか、それとも人恋しいのでしょうか。
ひょっとすると咳をする行為をとがめられることを恐れていたのだが、
我慢しきれず出てしまった咳をとがめる人がおらず安堵したのでしょうか。
作者の状況ではなく、受取り手の状況や感情によってその句の感じかたが
変わってきます。

実は、この句の解釈を三十数年変えていませんでした。
孤独の寂しさを詠った句だとばかり思っていましたが、
作者の状況を鑑みなければ、いくつも思い浮かぶし、
むしろ受取り手の心もようを表しているのかもしれません。

日本語は、面白いものだと思うし、楽しいですね。
四季があり、山や海、川もある、草花が咲き、木々が生い茂り、
動物が棲み、人々が営みを続けるすばらしい国、日本。

続く

旧友

昨日、しはらくお会いしていなかった人に会いました。
一人は偶然に、一人はアポを取ってですが・・・。
改めてその人たちのあたたかさに触れた気がします。
以前は、良くお会いしていたのに仕事に追われて忘れていました。

同じような年齢なので、ちょっと見ぬ間に白いものがちらり、
やはり・・・
空白の時間を埋めるのにお互い時間を割いたものの
厳しくなる現実を披露するばかり、
「体力の低下とともに気力もなくなる。」
と友人。
同意するとともに
「でも、何とかしよう!」
と私は言った。
最近思っていることは、
「声を出そう。気力は口から。」
プラスの言葉は、プラスを生むが、マイナスはマイナスのままだから。
ちょっと驚いていた友人は、帰りしなに
「生活はきびしいそうだけど、顔の色つやはいいね。」
「それりゃぁ、若返りのクスリと若い人の生血を飲んでるからさ。」